おやつで使ったお皿は自分で洗う。 |
本庄のおうちの飯島紳太郎(しんた)です☆
夏休みも終わり少しづつ確実に秋が近づいてきましたね。
子ども達も夏休み中は、家にいる時と少しリズムが違う生活となり、最初は慣れないこともあったと思いますがこの夏を超えてそれぞれ成長があったと思います。
特に毎朝行っていた掃除や片づけ、おやつの準備などは日が経つににつれ、子ども達同士で声を掛け合えるようになってきました。
「今日はこの部屋を掃除するよ。」
「ここがまだよごれているよ。」
「みんなで最後確認するよ!」
最初はスタッフが指示をしながら行いましたが、今では子ども達同士で考えながら掃除できます。
自分たちで掃除をする意味を理解し、考えて行動できるようになってきた所が成長した部分です☆
また、おやつの準備や後片づけも自らできるようになりました。
これらのことに共通することは、自分勝手な行動をしないこと。
別の言い方で表現すると、相手の気持ちを先に考えること。
私たちは子ども達にこんなことをよく言います。
「片づけが下手な人は自分の使った物も他人の使った物も片づけることができない。
自分が散らかしたことも忘れている。
片づけが上手な人は自分が使った物はもちろん、他人が使った物も片づけようとする。
さらは片づけをしない人に片付けようと声をかけることもできる。」
たかが片づけ。されど片づけ。
片づけができない子どもに何を教えても無駄だと私は思います。
なぜなら、注意力もなく、物事を整理する能力もないからです。
特にスポーツなどは、大けがをする可能性もあるのではないでしょうか。
そして、片づけが上手な子どもは自分1人でできるようになると今度は複数できれいに片づけができるようになります。
ここから協力をすることを学べ、自分以外の人がいるおかげでさらにきれいにすることができることも知ります。
他者へのリスペクトはこういう所から生まれてきます。
これは大人になってからも生活や仕事に直結することだと思います。
しかし大人になってから急にできるようになるものでもありません。
もちろん言葉で「協力しよう」や「他人を尊敬しよう」と言うことで伝わることも否定できません。
しかし、伝わるだけでなく子ども達の心に響かせる為には「体験」が欠かせないと思うのです。
今の時代、たくさんの手法で子ども達の生きる力や能力を向上できるようになりました。同時に、昔から伝わることから生きる力を学ぶ機会が減少しているように思います。
特別なことでなく、私たちが生活をしている中でも子ども達の生きる力を育むことが可能であると信じています。
便利な世の中になった今でもなぜ、雑巾がけがなくならないのか、ほうきという道具がなくならないのか。
私は単純に物事の効率という点だけではない、何か隠れた哲学があると感じます。
これからも掃除や片づけという体験を通し、子ども達が何かを学べることを信じていきたいと思います。
4年生が1年生に洗い方を教えています。 |
みんなで協力すればすぐに終わるね☆ |
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