本庄のおうちの飯島紳太郎(しんた)です!
今日は日常では体験できないことと表してブログを書きたいと思います。日頃から、このテーマを基に子ども達にどんな「あそび」ができるかと考えながら環境整備していますので、ここに書ききれないこともありますが今日はその一部をご紹介したいと思います☆
たかが丸太と思う方もいるでしょうが、されど丸太。
なかなか切れません。時間がかかります。
手も痛いです。手のひらにマメができて血が出ることもあります。
そうやって苦労して、切れた瞬間の喜び。
何にも代えがたいですね☆
「うわばき洗い」。
これも少し前までは当たり前でしたが、今では珍しくなりましたね。
こうやってひなたぼっこして話しながら、縁側でうわばきを洗う。
良い光景ですね☆
「ひみつきち作り」
これは楽しいんですよね。
作ることも楽しいし、完成し終わった後にこの中で遊んだりすることも楽しいですね。
子どもは狭い場所が好きですね。
この「ひみつきち」の中にぎゅうぎゅうに入っている子ども達の笑顔もいいですね。
「イナゴの佃煮」
このイナゴは、子ども達が稲刈りをした時に捕まえたイナゴです。
一緒に稲刈りをしてくれた方が「おそらく自分で生きている生き物を捕まえて、それを食べるという体験は初めてでしょうね。」とおっしゃっていた通り、子ども達は複雑な気持ちでイナゴを食べたに違いないでしょう。
いのちをいただくということは、こういうことなんです。
おいしい、まずいの前に命をいただいているという気持ちをこのイナゴから感じとってもらいたいですね。
「気温3℃くらいの夕方に足湯」
5時過ぎの夕方。とにかく寒いんです。
でも、寒い時だからこそ、あたたかさが身にしみる。
ダルマストーブでお湯を沸かしてそのお湯で「足湯」をしてみる。
こうやって肩を並べて同じあたたかさを感じる。
なかなかありません。次は五右衛門風呂でもやりたいな♪
日常では体験できないこと。
それは特別なことをやることではありません。
昔から伝わってきている生活の一部みたいなもの。
なぜ、歴史の荒波を超え、時代に流されることなく、今に残っているのか。
私はいつもその部分を直視するようにしています。
子ども向けにと様々なあそびまがいな物が開発される昨今、実は子どもが楽しんでいるように見えているだけではないのか。
大人がこれは楽しいという意識を植えつけてしまっているだけではないのか。
大人が楽をできるから、そのあそびを子どもにさせてしまっているのではないか。
子どもが心底楽しめるあそびは、いったい何なのか?
常に自問自答の毎日です。
だから、大人になっても子どもの心の奥底に残るあそびって何なのかという答えを、先人の知恵をお借りしながら、これからも探求をしていこうと強く思います。
0 件のコメント :
コメントを投稿